主観性のみな痛い文章かいてもよいれすか


昨日は朝から悲しんだりむかついたり心配したり憤ったり腹立てたりしてたのだけれど、公式コメを読んでからはとにかく悲しかった。赤西の姿をしばらく見れなくなるからというよりも、ワタシがずっとずっと感じていたモヤモヤが肯定されてしまったように思えたこと、それが悲しくてしようがなかった。


少しずつ確実に大きくなっていった違和感と疑問と心配と不安を混ぜたようなもの。彼の変化を認めたくなかった。「実際、違ってしまったのか」は問題ではなかった「ワタシがそう感じてしまっている」ということをどうしても認めたくなかったのだ。まあさすがにもう気付かない振りはできなくなっていたのだけれど。しかし、それでも赤西は赤西で、自分にとって特別で、あきらめきれなくて。結局ワタシは、変わらず仁がすきだったし変わらずすきでいたかった。


いろいろ考えて結局思ったこと→ 「休業、いんじゃないっすかね」 けろっと言ってみる。だって、楽しめないことを意に反してやるのってこの人にすごく似合わない事だと思うから。すきだと思えないなら少し離れて、やりたいことやったらいいよ。もしかしたらそうしてる内に他の何かを見つけて戻ってこないかもしれない、その可能性は十分にある。だがそれならそれで仕方ないと思う。でも願わくば。願わくば、またあの頃のピカピカした笑顔を見せに戻ってきて欲しいよ。すごく強い気持ちで思うよ。


がんばれよー。あたしも色々がんばるよー。


赤西担として一生懸命キモチの整理をつけてみた。まあユニ担としてはまた別な感情が色々あるんすけどね…実はこっちの気持ちのが整理つけにくい…